オヤジたちの託老所

定年退職後は、趣味や今までできなかった事をたっぷりできる。
家族や周囲の人々からは「長い間お勤めご苦労様でした。」とねぎらいの言葉をもらう。
悠々自適な生活=人生のゴールデンタイムが待っている。


ハッキリ言って、それ「錯覚」です。幻です。思い込みです。


内館牧子の著書「終わった人」の主人公は地方出身で東大を出たエリート。
銀行に勤め、トップを走っていたが、出世争いで敗れ子会社へ出向。
給料はまぁ良いが、仕事のやりがいはない。
数年後には親会社に戻れると信じていたがあっさりと転籍を命じられる。
つまり、返り咲きの芽はなくなった。
出向先から戻れる可能性など万に一つもない。
転籍したら、給料はがた落ち。更にどんな仕事をさせられるか分かったもんじゃない。
プライドが許さない。だから、仕事を辞めた。
大企業の仕事人間だった主人公は、肩書が外れると、知り合いは誰もいない。
とにかく時間がつぶせない。映画を見るにも、お金がかかる。
図書館や散歩は老人のやること。自分は老人ではないと、思い込む石頭。
プライドだけは高く、スポーツクラブのメンバーにも溶け込まない。
奥さんは、愚痴っぽい旦那を毛嫌いして、わざと朝早く仕事に出かける。
帰りも遅い。会話は最低限しかない。
これで奥さんが専業主婦なら、旦那は粗大ごみ以外の何物でもない。
「何かに打ち込みたい!!」その気持ちから主人公は大学院に入ることを思い立つ。
そしてそのために入った講座でかなり年下の女性に恋をする。100%片思い。
女性は主人公を「使える年上のお友達」としか見ていない。
社会生活で培った知識と話術と豪華な食事で彼女を楽しませるも、
最後の最後で「お友達でしょう?攻撃」を受け撃沈。
ストーリーを追いかけると長くなるから割愛。


暇ならボランティアすればいいのに。

現在のボランティアセンター、平日は暇で体力がある中高年の男たちが多い。
ほぼ50代以上。メインは60代。県外からも泊りがけでやって来る。
体力がなくても口がきければなんとかなる。軽い仕事もあるから。
定年後、家では邪魔もの扱いされる一部の定年オヤジたち。
「出かけないの?」と嫌味を言われるのはまだ優しい方。
奥さんから「娘と二人で旅行に行ってくるから留守番よろしく。」と、
いきなり放置プレイ宣言されたかわいそうなオヤジもいた。
定年後、家の主は奥さんに変更になっている。
それを受け入れないといけない。わかっているさ。
でもものには順序と言うものがあり、
それなりの「言い方」があるだろう?と、心の中で呟いてみる。
口に出す勇気はないよ。

それならボランティアに行こう。

予定の書かれていないスケジュール表に「ボランティア」と書き込めうれしさ。
誰かと話ができる喜び。汗をかく爽快感。
ついでに人のためになるのなら尚良し。
たいした内容でもなくてもいい、空っぽの時間を満たしてくれるものがあれば
何とか前を向いて生きていける。
そう自分に言い聞かせて今日も250円の弁当を食べる。
中には手作りの弁当を持参する人もいる。
「奥さんが作ってくれたのですか?」と尋ねたら、
「いいえ、自分で作りました」・・・尋ねるんじゃなかった。


このように、オヤジ達の努力とあきらめによって一部の家庭の均衡は保たれている。
勿論奥さん方の言い分もあるだろうけど、怖いので聞かない。


(内容にはフィクションが含まれます。大げさな表現も。)