ぶどう園の農夫の例え

聖書の話です。興味のない方はここで踵(きびす)を返すのである。
分かった?


前提として・・・
日雇い労働者は公園に集まり仕事をくれる雇い主を探す。
すぐに見つからなければずっとそこで待つしかない。


ぶどう園の園主が朝八時に公園に行き日雇い労働者を日給で雇った。
数時間後、園主は公園に行き、別の人を同じ給料で雇った。
夕方また同じように別の人を雇った。
仕事が終わり、すべての人に約束の日給を払ったら
朝から働いていた者が不平を言った。
「1時間働いた人間と丸一日働いた人間がどうして同じ給料なのか?」
園主は言った。お前との約束は守っている。文句を言うな。
俺は1時間しか働かなかった人間にも同じ日当を払いたいのだ。


そしてこの文章の前にはこんな文言が入っている。
*「神の国はこのように例えられる」


この例え話を理解するのは難しい。
日本人なら丸一日働いた人の意見に同意するだろう。
私もそう思う。普通なら時給で計算するよな。
1時間働いた人間と一日働いた人間が同じ給料なら
もう誰も丸一日働かないよ。
だが*の言葉を読めば少し理解が変わって来る。
ぶどう園は天国、園主は神。
ぶどう園に入るのに早いも遅いもない。
ぶどう園に行って働こうとすることが大事なのだ。
こんな風に読み解く説法をネットで見つけて「なるほど!」と思った。


仕事があるから半日しかボランティアできない時、
「あの野郎、半日で帰りやがった。」と思う人は誰もいない。
「半日でも来てもらって嬉しい、助かった。」が普通。
これに似ているかもしれない。
    


聖書の解釈はいろいろあり、今日書いたものは私見です。