祭壇来たる。

誰も住んでいなかった長崎の実家。


その実家が壊されることになり、行き場を失った祭壇が
巡り巡って久留米の拙宅にくることになった。
一時的に妹が管理していたが、都合が悪くなったため、
どうしようかと相談を受けた。そしたら「うちで預かる」というしかないではないか。
という事で、長崎まで車を走らせ、引き取りに。
妹の長男夫婦も子供連れで迎えてくれた。
その祭壇がこれ ↓ 庭に咲いていた花など活けてみました。

西日本豪雨被害

8/14~15で、西日本豪雨で被害が発生した広島県と岡山県に出向いた。
杷木復興支援ベースのメンバーが両地に差し入れと励ましのために出向くというので、
ご一緒させてもらう。
14日夜に福岡を出発、深夜に広島に入り、翌朝 DRT JAPAN
(杷木復興ベースに長期間逗留して主に重機を使って支援活動をしてくれた組織)の
メンバーと合流。現場の坂町(さかちょう、広島県安芸郡)に向かう。
あまりの被害の大きさに言葉を失う。窪地になっている地域に山崩れによる土砂が
流れ込み、町全体がそれに飲み込まれていた。
それ以外の地域も流出した土砂による被害が大きい。
道が狭いので、大型重機が入れない地域が多い。


15日昼頃岡山県倉敷市真備町(まびちょう)に入る。
ここでは同じく杷木で支援活動をしてくれた風組関東という組織のメンバーが
出迎えてくれた。
小田川とその支流八か所で堤防が決壊、氾濫してしまい、
町全体が1~2Mの冠水被害があった。
広範囲にわたり家屋が浸水し、今ではスケルトン状態=家具や畳、家電日用品が全く
家に存在しない=被災ゴミとしてすべて搬出済み。
町中いたるところに土砂や被災ゴミがまさに「山のように」積まれていた。
店舗も病院もその地域ほとんどの家屋が冠水したようだ。
説明を受けてから被災地を改めてみると、そのすさまじい水の威力に唖然とした。
岡山から山陽道に乗り広島東インターで一旦降りて昼食。
その後福岡市に戻り二人メンバーを車から降ろし、午後7時に杷木無事帰着。



田んぼの泥出し

杷木復興支援ベースの活動で、おととい+昨日の二日間、
林田地区の田んぼの泥出しに参加。
スコップで掘り出した泥を一輪車で100M程離れた土捨て場に運ぶ。
初日は福岡の大学生20名くらいと一緒に活動。
屋外での作業になれてないのと、ペース配分がうまくできず、
2名が早々とヘタる。若いから体力はあるけど、ペースを上げすぎ。
昨日は、山口県と小郡市から来た50代・60代の男性メンバーと三人で。
年季の入った人達なので、適度に力を抜きながら、作業を進める。


この田んぼの泥は深い。30センチ以上入って入っるので、
少々運び出しても、いくらも進まない。
たとえ毎日10人づつ入っても、一か月はたっぷりかかるね。
ユンボが入ると違うだろうけど・・・・と話していた。


昨日は軽ダン(軽自動車のダンプ、画像参照)を使って泥を運ぶ。
一輪車で運ぶのは相当体力を使うから、代表が進めてくれた。
ただ田んぼへのスロープが狭く、接続道路も狭いので操作が難しい。
何とか切り返ししながら、作業する場所へ移動させて作業開始。


   楽だった・・・早くこの方法を取ればよかった😢
   なんたって外気温、昨日は39度。過酷death。