博多万能ねぎ・・・ハウスの作業

博多万能ねぎ
福岡県 JA筑前あさくら 博多万能ねぎ部会。
福岡県朝倉市で栽培されている小ねぎ。日本初の空輸野菜「フライト野菜」として、全国に出荷されており、もともと白ネギ文化だった関東へ青ネギ文化を広めたのはJA筑前あさくらの博多万能ねぎ部会である。その功績もあり、1986年(昭和61年)に第15回日本農業賞、第25回全国農林水産祭で天皇杯を受賞している。「万能ねぎ」は商標登録されており、万能ねぎと呼べるのはJA筑前あさくらから出荷された「博多万能ねぎ」のみである。「生でよし、煮てよし、薬味によし」と三拍子揃っていることから、「博多万能ねぎ」と命名された。  (wiki より)


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本日の作業は、ねぎのビニールハウスの泥出し。
ズラーっと10棟以上並ぶハウスでは朝倉市特産の博多万能ねぎが生産されていたが、
今回の豪雨でハウスの中に泥が入り込み、苗は全滅。
流入した土は粘土質で、そのままでは野菜はほぼ育たない。
まずは、その土を掘りだす作業。
(この作業の後重機が入り、掘り出した泥を外へ出す。)


とにかく面積が広いのと、チョコレートのように土が固まって、
掘り出すのにとても力がいる。
重機を入れようにも、細部の作業は手仕事に頼るしかない。
ということで30人態勢で作業開始。
30代40代の比較的若い男性が多いので、作業はどんどんはかどった。


オーナーさんのご厚意で昼食時には晩白柚(バンペイユ)という
大きな柑橘系の果物をいただき、
作業終了には博多万能ねぎの土産までいただく。
帰りの車の中では、女性たちはメニューを考えていた。


画像は、ねぎハウスの内部の様子とお土産の博多万能ねぎ。
オーナーさん、ありがとうございます。
東京へどんどん出荷して、大儲けしてください。

オタマジャクシ

気持ちよくボランティア作業ができたので報告。


いつもの黒川での作業。
田んぼの用水路の復旧工事をする事になった。
山からの水が勝手に田んぼに入り込まないように、
畔の外側に水路を切ってあるのだが、ここに土砂が入り込んでいる。
その土砂を100メートルほど取り除く作業がメイン。
50代二人、60代二人、合計4人+依頼主さんの合5人で作業開始。
依頼主さんの年齢は84歳。元気にスコップを振り回す。
途中まで掘りだしたところで問題発生。
水路に数百匹のオタマジャクシ発見。まさにウジャウジャ。
「これ、どうする?」「無視して泥と一緒に捨てる?」
「生き物だしな・・・」と考えあぐねていたら、ちょうどお昼。
依頼主さんも自宅に戻り昼食。
飯を食いながら、みんなで考えた結果=休憩時間に別の水たまりに移動させる。
ただし、依頼主さんが戻ったらその時点で救出作戦は中止。
4人それぞれにスコップで掬って、せっせと移動させること30分。
休憩時間が終わる頃に丁度任務完了。
そこへ依頼主さんご帰還。
何もなかったように、午前中の作業の続きをする。


農家の人にとってはオタマジャクシなど取るに足らない存在だろう。
むしろ迷惑な存在かもしれない。
しかしメンバーのNさんの話だと、
「もしかしたら、このオタマジャクシは
亡くなった爺さんの生まれ変わりかもしれない。だから生かしてやりたい。」
そう言われたら、NO!とは言えない。
男はみなこういう作業は嫌いじゃないしね。
セミ・クワガタ・オタマジャクシ・・・みんな子供の頃遊んだ経験があるはず。
50歳になっても60歳になっても、心のどこかに”子供”が潜んでいるのだ。
そして作業自体もうまく進んで、心も晴れ晴れ。


ボランティアの帰りにNさんが持っていた無料の入浴券で4人、
原鶴温泉の立ち寄り湯へ。
体もスッキリきれいになって、それぞれの帰途へ。
皆さんお疲れ様でした。

後の祭り

先週16日・17日はJA朝倉の農業ボランティアへ。
いつもの柿畑の泥出しへ。
17日は黒川で、梨畑の整地作業。
これは崩れた段々畑に土嚢を積み、修復するもの。
その日の現場は高さが3メートルほどあり、
これを埋めるにはかなりの数の土嚢が必要だが、派遣されたのは5名。
少ない!
他のメンバーと話し合って、追加で人を増やしてもらい、7人で作業。
普段なら土嚢袋に入れる土砂の量は 50~60%くらいに抑えるのだが、
今日は土嚢積みのエキスパートが参加していることもあり、
「80%で行こう!」となった。
土嚢袋にたくさん土砂を入れるととても重くて、取り回しが大変。
運ぶのにも骨が折れる。
柏田代表が午後からあと3人増やしてくれて10人態勢で作業。
午後3時の終了時には見た目も素晴らしい擁壁(?)が出来上がった。
最後に雨が降っても土砂が流れないように、ブルーシートをかぶせて終了。
かぶせ終わってから「写真を撮ればよかったね。」と言っても、after the festibval.


こんな感じの擁壁造り(↓画像は別の現場)